【2023.10.20掲載記事】
今日は、朝から雨が降っていた。天気予報を見ると終日、そしてしばらく降り続ける予報が出ている。当初の予定では、函館の街を愛車プロンプトンで周りたいと考えていた。しかしこの雨では断念せざるを得ない。予定を変更して、当初行こうかどうか迷っていた松前町に行くことにした。
函館から松前町、そして江差に至る国道228号線は、別称『追分ソーランライン』という。
国道228号線福島町から国道229号線せたな町平浜海水浴場までの110kmの区間の殆どはずっと海岸線を走る。延々と海がすぐ横にある爽快ロード。
しかし、今日の海は荒れていて、荒々しい波が次々に打ち寄せている。場所によっては道路まで飛び散っているところもある。

晴れていればどんなに気持ちの良い道だろうか。バイクで走れば、爽快であること間違いないと思いながら車を走らせた。
道路脇に福島町の看板が見えた。『道の駅 横綱の里ふくしま』の標識もある。そして道の駅の横には、なんと『横綱千代の山・千代の富士記念館』があるではないか。かなり大きな建物である。

興味がそそられ寄ることにする。この福島町はこの二人の横綱の出身地とのこと。受付を済ませ中に入る。


二人の略歴を記したボードの次に、節目節目になった、後に語り継がれている取り組みの映像を見ることのできるコーナーがあり、千代の富士の映像に見入ってしまう。横綱になってならの強さは今でも記憶に残っているが、そこに至るまでの取り組みは、実に興味深いものだった。「貴乃花」親子との戦いはまさに死闘。改めて千代の富士の強さを感じた。闘志あふれた荒々しいと取り口。このときさっきまで見ていた荒々しい海を思い出していた。彼の闘い方は、ここからきていたのではないだろうかと想像した。
記念館を出たのちも、海岸線の道路を走り続ける。白い波飛沫が途切れることはない。

やがて松前町に着く。先ずは「松前城」に行く。1606年に築城された日本最北の城だが、現在の城は、昭和36年に復元されたものである。

城内は資料館になっており、これにより松前藩時代の歴史や文化を学ぶことができた。ここに来るまでは蝦夷地安定のために作られた藩で、厳しい自然と未開の地の開拓という、完全なネガティブな印象しかなかった。しかし歴史を見てみると、全くそんなことはなく、豊かな資源(水産資源・森林資源)の交易により、豊かな繁栄を謳歌したとある。そして交易がもたらした豊かさは、上方にも劣らない程の華やかな松前文化を育んだとのこと。全くの認識違いに恥いってしまう。
この時活躍したのが北前船。福島町に来る途中に復元された「北前船」があった。


近江商人の存在もあったようである。今から300年以上も前の時代になる。凄まじいまでの商人魂である。このあと『松前藩屋敷』をみる。


当時の街並みを再現したものだが、そこに移動するにあたって「必ず車で移動してください」と念を押された。なんと熊が出没する恐れがあるという。注意喚起の看板も立っている。

敷地内に入り、いろいろ見て回っていたらスタッフの方がいたので少し話をさせてもらった。歴史に関する話を終えた後、
「今日の海の荒々しさは、たまたまですか?」
「そうですね、いつもはもっと穏やかです。でも冬はこんな感じの日が多いですね」
やはり冬の日本海は厳しいのだと納得しつつ、
「先ほど、相撲記念館を見てきました。そして思ったのですが、千代の富士の組み手の荒々しさは、この海の厳しさからきているように感じました」と尋ねると、
「そうだと思います」と返答。
自然のありようが人の気質に影響することを改めて思う。
以前から来た一度は訪ねてみたいと思っていたこの地に来ることができて本当に嬉しく思った。
この日の宿泊地は、『道の駅 ルート229元和台』。ここで夜を越した車は他に1台のみ。
あれだけどこの道の駅にもたくさん泊まっていた車は、どこを周っているのだろう。
そんなことを思いながら眠りについた。