ファンディの旅もろもろ

キャンプや車中泊を中心に、アウトドアライフを満喫中!!

我が国が抱える、深く大きな問題。

 我が国の人口問題について書いてみた。「旅」とは全く関係がないのだが‥‥。

 数日前の新聞に衝撃的な見出しが載っていた。『出生率1.14』『少子化止まらず』とある。厚生労働省が3日に発表した人口動態統計によると、一人の女性が生涯で生む子供の数を示す合計特殊出生率は1.14だったという。過去最低の更新。25年に生まれた子どもは67万1236人で、24年より1万4937人減ったとのこと。減少率は2%を超えており少子化には歯止めがかかっていないと記事は伝えている。

 人口減少問題は、さまざまなところで指摘がされており、イーロンマスク氏に至っては、「やがて日本はなくなる」とまで言っている。

 『国立社会保障・人口問題研究所』が5年ごとに人口の将来推計をまとめている。ここは厚生労働省の機関であり、人口研究・社会保障研究はもとより、人口・経済・社会保障の相互関連についての調査研究を行っている。今回、ここが令和5(2024)年国勢調査の確定数を基にした新たな全国将来人口推計を行い、 令和6(2026)年4月26日にその結果を公表した。 

www.ipss.go.jp

都道府県ごとの2025年と2050年の人口予測は以下の通り。

【北海道】

 ▽501万人余りから約382万人に

【東北地方】

 ▽青森県が116万人余りから約75万人に
 ▽岩手県が114万人余りから約78万人に

 ▽宮城県が224万人余りから約183万人に

 ▽秋田県が89万人余りから約56万人に
 ▽山形県が101万人余りから約71万人に
 ▽福島県が173万人余りから約124万人に

【関東地方】

 ▽茨城県が278万人余りから約224万人に

 ▽栃木県が187万人余りから約150万人に
 ▽群馬県が188万人余りから約152万人に
 ▽埼玉県が732万人余りから約663万人に
 ▽千葉県が626万人余りから約569万人に
 ▽神奈川県が920万人余りから約852万人に
 ▽東京都が1420万人から約1446万人に

【中部地方】

 ▽新潟県が208万人余りから約152万人に
 ▽富山県が99万人余りから約76万人に
 ▽石川県が109万人余りから約89万人に
 ▽福井県が73万人余りから約57万人に
 ▽山梨県が78万人余りから約61万人に
 ▽長野県が197万人余りから約158万人に
 ▽岐阜県が190万人余りから約147万人に
 ▽静岡県が351万人余りから283万人余りに

 ▽愛知県が745万人余りから約667万人に

【近畿地方】

 ▽三重県が170万人余りから約134万人に
 ▽滋賀県が140万人余りから約122万人に
 ▽京都府が252万人余りから約207万人に
 ▽大阪府が868万人余りから約726万人に
 ▽兵庫県が531万人余りから約436万人に
 ▽奈良県が127万人余りから約95万人に
 ▽和歌山県が88万人余りから約63万人に

【中国地方】

 ▽鳥取県が53万人余りから約40万人に
 ▽島根県が64万人余りから約49万人に
 ▽岡山県が183万人余りから約151万人に
 ▽広島県が274万人余りから約223万人に
 ▽山口県が127万人余りから約92万人に

【四国地方】

 ▽徳島県が68万人余りから約48万人に
 ▽香川県が91万人余りから約72万人に
 ▽愛媛県が127万人余りから約94万人に
 ▽高知県が65万人余りから約45万人に

【九州・沖縄地方】

 ▽福岡県が507万人余りから約448万人に
 ▽佐賀県が78万人余りから約62万人に
 ▽長崎県が120万人余りから約87万人に
 ▽熊本県が168万人余りから約135万人に
 ▽大分県が108万人余りから約84万人に
 ▽宮崎県が102万人余りから約79万人に
 ▽鹿児島県が152万人余りから約117万人に
 ▽沖縄県が146万人余りから約139万人に

 我が国日本の人口減少のスピードはとてつもなく速いスピードで進んでいる。そしてそのことにより様々な懸念が生じている。2033年に全国の住宅の3分の1が空き家となり、そして2040年には国内自治体の半数が消滅すると予測され、2100年には人口が現在の約半分まで減るとの予測もある。

 この国立社会保障・人口問題研究所は、2004年の出生率1.29が継続し、海外からの日本への移住者が増えないと仮定した場合、次のような予測も出していた。2190年に日本の人口は996万8907人に、2340年93万8970人、2490年8万8601人に。そして3300年には、ついに0人になると。

 今回、厚生労働省が発表した人口動態統計の合計特殊出生率は1.14だった。つまり、当初の予測より早いスピードで人口は減少しているということになる。日本消滅のカウントダウンは既に始まっている‥‥。

 

 

 

バイクが重くなって考えたこと。

 バイク関係のYouTube番組をよく見ている。内容は、ツーリングキャンプ系のものがほとんど。特に最近は、北海道ツーリングへの参考にしようとコースや装備、また、北海道の自然環境なども知りたくて、あれこれ動画を見ては参考にさせてもらっていた。手軽でリアルタイムで、情報収集には最高のツールである。

 さて、今日、スマホを開き何気にYouTubeのサムネイルをスクロールしていたら気になるタイトルの動画が目に入った。『レブル250から1100DCTへ乗り換え? シニアライダーが直面する1台持ち究極の選択は?』とある。発信者は、自遊人古橋さん。60歳代半ばの男性。体力的なことや操作性などから、それまでの大排気量の大型バイクから250CCのバイクに乗り換えを決行。軽量であることからくる取り回しのしやすさなどに満足しながらバイクライフを楽しんでいたものの、排気量が小さくなった分、加速性や馬力などで非力さを感じるようになってしまい、以前乗っていたような大型バイクに乗り換えるかどうかの悩みに直面しており、視聴者に悩み解決のアドバイスを求めるような内容となっていた。

www.youtube.com

 まさしく自分が抱いていた悩みと同じものであった。このことについては2月13日のブログでも書いた。以前は気にならなかった「重さ」が、年齢を重ねて行くに従って気になり出し、乗ることの楽しみの前に、少しばかり億劫さも感じるようになっていた。

 この方は、わたしの先を行っている。大型のバイクから取り回しのしやすい250CCのバイクに既に乗り換えている。そして今、以前の大型バイクの機動力を懐かしく感じ、再び大型バイクに戻ろうかと悩んでいる。今のバイクは取り回しがよく、大きな不満があるわけではないようである。車重130kgほどで足つき性も抜群にいい。取り回しの良さを考えたらこれ以上のバイクはないと思えるほど。しかし乗っていて気になりだしたのが大排気量のバイクと比較したときの「加速性」と「馬力」。であれば、費用の面で問題がなければ、「じゃあ、買い換えればいいじゃん」となるのだが、その決断ができないのが、大型バイクならではの車重の問題。1100DCTの車重は230kgあるという。今よりも100キロほど増えるとのこと。ここが踏み切れない理由のようである。

 他人事には思えなかった。バイク乗りなら誰でもが通る道なのだと思った。わたしが今乗っているバイクの車重は260kg。同じように重さが少々苦になってきている。レブル250への乗り換えを検討すべくバイクショップに行き、バイクにも跨ってみた。明らかに取り扱いが楽そうであり、重さへのストレスは皆無のように感じた。

 しかし、今も乗り換えることなく、これまでのバイクに乗っている。結局、出した答えは今のバイクが「乗っていて楽しいから」。確かに止まれば「重たさ」を感じる。ただ、それは「たまに」。重たさを感じないようにするための“善処”をすればその機会はグッと減る。「傾斜のあるところには止めない」「細い道には入っていかない」「狭いところには止めない」等々。重たいバイクではある。エンジンを止めれば人力で動かすのはかなり厄介である。しかし、大好きなフォルム。購入するとき「もうこれ以上に大好きになるバイクは現れない」と感じて購入を決意した。そして、期待を裏切らない「走り」が、愛車への思いを更に強くした。

 前述したように、「重さ」が少々苦にもなってきた。しかし、走り出したらそんなことも忘れさせてくれる。バイクに乗るのは身体全体で「気持ちいい〜」を感じたいから。重さは「善処」で軽減させればいいと考えることでストレスは小さくなった。今は、もう乗り換えへの思いは無くなっている。もし、考えるとしたら、それは「倒れたバイクを起こせないとき」だと考えている。それまではこのバイクを大切に、そしてこのバイクとたくさんの思い出を作っていきたいと思っている。

 

 

デイキャンとMLB、そして今後のことについて‥‥。

 先日の台風接近、災害や被害への心配が少々募っていたが、寝ている間に通り過ぎていた。 

 さて、台風が通り過ぎた翌日、今朝は雲ひとつない青空が広がり、心地よい風が吹き、空気も澄んでいるように感じる。

 午前中の用件を済ませ、午後からの時間の使い方をあれこれ考えた。そして、出てきた答えは、キャンプ場にいって「ノマド」的に過ごすこと。そして、「どうせ行くなら焚き火は必須」なので焚き火セットと「まぁ念の為」とテントも積み込んだ。更には、「やっぱり喉も乾くよね」と思ったので、ノンアルも買い込んだ。いかん、文体が“椎名誠構文”になっている‥‥。

 諸々の準備を終わらせ、とにかく出発する。今日は、午前10時過ぎからMLBドジャースとダイアモンドバックスの試合がAmazonプライムで放映される。これは今年から始まった配信サービスで、しかも無料。ただ、NHK衛生放送は、ほぼほぼドジャースの試合ばかりだが、Amazonプライムの方は、他の日本人大リーガーの試合もフォローしているため、毎日見られるというわけではない。ただAmazonプライムは、電波が入れば、スマホで屋外でも見ることができるので、これはNHK衛生放送にはない大きな魅力。いつでもどこでも大谷選手の応援ができるようになった。

 というわけで、耳を野球中継に傾けつつキャンプ場に向けて出発する。瞬く間に着く。到着後、先ずは、必要な荷物を下ろす。テーブルと椅子。セッティングは終わったがすぐには作業開始とはならない。ドジャース楽勝ペースで進んでいた試合がもつれだし、なんと1点差になっているのである。勢いはもう完全に相手チームの方へ。居ても立っても居られず車の中を車中泊仕様に整え、横になりスマホで野球観戦となる。

 手に汗握り、喉も渇く。ノンアルを早速開け、液体を喉に流し込む。結果、もつれた試合も1点差でドジャースの勝利。大谷選手のホームランはなかったものの3塁打と2塁打を打ち、勝利に貢献した。明日もドジャースとダイアモンドバックスの試合が予定されており、ドジャースは大谷選手が先発。しかもAmazonプライムで放映される。日本時間午前10時40分試合開始!!

  この後は、木陰の下でパソコン作業を進めた。陽の光が木々の小枝で遮られ、山間に流れる小川から心地よい風が吹いている。

 

 そして、なんといってもキャンプ場貸し切り状態。テントや焚き火セットも持ってきてはいたが、今日の出番はなかった。心地よさの中で作業も進む。

 6月に入り、数日が過ぎた。6月の予定もいろいろ入ってきており、同様に7月の予定も埋まってきている。以前からブログで『北海道ツーリング旅』のことを書いてきた。実行するには諸々の準備が必要で、そのためには、それなりの日数も必要になる。6月に入った今、諸事情を勘案すると、「ちょっと厳しいかなぁ」と今感じてきている。準備が整わないのに、フェリーチケットを予約するのもちょっと無理がある。『北海道ツーリング旅』は、思いの方だけが先走ったように感じている。先ずは数日かけてのキャンプツーリングから始めることが懸命かもしれない。

 心地よい風に吹かれながらそんなことを考えた。

 

 

 

 

 

 

椎名誠『怪しい探検隊』と久しぶりに出会い、速攻で引き込まれてしまった。

 書斎のように利用している我が街のTSUTAYAに来た。駅に併設しており、スタバもある。基本本屋なので書店なのだが、販売用の書籍より館内閲覧用の書籍の方が圧倒的に多い。どちらかというと図書館っぽい。

 ここはには、くつろぎながら本が読めるようにソファーがあり、またデスクワーク可能な学習スペースもあり、かつ広い。週末は中高生が多いが、平日は大人たちが席を埋める。しかし、地方の田舎街である。平日の利用者はそれほど多くない。心地よい音楽が流れ、階下のスタバからコーヒーの香りも漂ってくる。

 こんな素敵な場所を利用しない手はない。今日は、集中して作業、そしてお勉強をやろうと思い、開館時刻に合わせてやってきた。館内の人はまだまばら。長机の一角を陣取り、1m四方は我が書斎となった。早速パソコンを開き作業開始となるはずだったのだが‥‥。

 館内に入り、通路に並べられた書籍を見つつ歩いていたら、旅行関係の書棚で、懐かしい作家の名前を見つけたのである。『椎名誠』。学生時代、この人の本にハマった。『怪しい探検隊』シリーズである。そして今日見つけた本は、『怪しい探検隊 ~台湾ニワトリ島乱入』というタイトルがついている。

 初めて見る本だった。ここに並ぶということは、そんなに古い本ではないはず。

 「ええっ、この人、まだこんなことやってるんだ!!」「今、いったい何歳なの?」という素朴な疑問が湧いた。本の発行年月日を見ると2016年3月30日となっている。今から10年ほど前になる。最近の本ではないが、『怪しい探検隊』全盛期は1980~1990年代前半頃だったはずなので、それからすると新しい。素直に、「まだやっていた!!!」と嬉しくなってしまった。この時椎名氏71歳とある。

 手に取ってしまうと、そして席に持って行くと、確実に読んでしまうと思いつつも、もう戻せない。さっそくページを開く。最初のページにカラー写真が添えられており、そこに手書きで「おれたちは南の島の犬みたいに自由だった」とあるではないか。冒頭から“椎名節”が炸裂する。

 怪しい探検隊シリーズは、「東ケト会」という仲間たちが集まり、キャンプや釣り、無人島探検をしつつ、夜毎大宴会を繰り広げるという破天荒な様子を、椎名誠の巧みな文章力で描いたドキュメンターリー的な面白本だったという記憶が残っている。椎名隊長とレギュラー陣、そして弟子たちの集団が日本にとどまらず、海外をも旅して回っていた。そして、それを文章化し本として売り出す。当時人気のあった作家であり、シリーズだったので、“これこそ夢の印税生活!!”などと感じたりしていた。一度、椎名氏の講演を聞きにいったことがあるが、ステージの上であぐらをかき日本酒を飲みながら話していたような記憶がうっすらと残っている。それがまた、本に出てくる隊長そのもので、なんというのか「粋」だったことを思い出す。

 そして今回、この本では『怪しい探検隊』は台湾に行くのである。バンコクで東南アジアに目覚め、「次はベトナムから国境越えだ!!」などと言っている身からすれば、当然「台湾」にも興味はある。先日お会いした元上司である人生の先輩から、台湾旅行の話を伺ったばかりでもある

 世の中的には、『台湾有事』などと緊張感ある話ばかりが伝わってくるが、食べ物は美味しく、街も活気に溢れているとのこと。そこに、この椎名本の登場である。書かれてある情報はいささか古いが、まぁそんなことはどうでもいい。 

 しなければならないことがあるのだが、本に手が伸びページをめくってしまう。久しぶりの椎名文体との対面である。リズムとテンポがよく、難解な語句もないためスラスラ読める。まだ序盤なのだが、もう引き込まれてしまっていることを感じる。

 ここにある閲覧用の書籍は、借りて行くことができない。販売用でもないので、ここで読むしかない。幸いなことに台風接近に伴い、しばらく雨が続きそうである。次に来た時は、学習スペースではなく、ソファでくつろぎつつ読書にふけようと思った。

 

 

いろいろな本を読んできた。まさしく心の肥やしとなる。

 もう少し、本のことについて書こうと思う。

 読書に目覚めたのは高校生の頃。図書館で借りることもしていたが、ある頃からは読み終えた本を書棚に並べて行き、それが増えていくことに喜びを感じるようになった。そのため借りるより買うことが多くなっていった。その全てをお小遣いだけで足りていたのかはよく覚えていない。書籍購入は、別に貰っていたような気もする。

 このころは、前にも書いたが、いわゆる「古典」と呼ばれる本が多かった。サマセットモームの『人間の絆』や島崎藤村の『破戒』などからは、新たな気づきや価値観に本を通して触れ、学んでいたように思う。目の前に知らなかった世界がどんどん広がって行く感覚が心地よかった。そして読み終えた本の数が少しずつ増えて行くことも嬉しかった。

 大学に入ってからは、更に読書の幅は広がっていった。ただ授業で使う専門書はあまり読んでいなかったと思う。文芸ものが中心だった。長編ものを読み始めたのもこの頃だったように思う。司馬遼太郎『竜馬がゆく』や吉川英治『宮本武蔵』、五木寛之『青春の門』などは強烈な記憶が残っている。学生時代の何ものにも属さない、束縛されないこの頃は、まさに「乱読」状態だったように思う。面白そうな本を見つけたり、人に教えてもらったりしながら手当たり次第に読んでいたように思う。

 大学を卒業してからは、生活の中心は当然仕事となり、学生時代のように“いつでもどこでも”というわけにはいかなくなった。しかし、本から学んだことは限りなく大きく、この習慣を途切らせてはいけないと強く思ったりもした。学生時代は、「時間があるからとりあえず本を読む」だったように感じるが、社会人になってからは、意識的に読まなければ本から離れてしまうように感じた。ある時期、1週間に1冊、年間40冊を目標(ノルマ)にして本に手を伸ばしていた。簡単な記録を手帳に書き込んでいくこともしていた。書名、著者、簡単な感想、◎○△で評価も書いた。記憶は曖昧であることをこの読書記録が教えてくれたりもした。

 その時々で、読む本の傾向が変化し、また一つのジャンルに集中するということもでてきた。社会人となり、年齢やキャリアを重ねて行く中で、「人生を見つめ直し、どう生きて行くか」ということを自然と思うようになり、その答えを求めて様々な本を読んだりもした。ナポレオンヒやディールカーネギーなどの自己啓発本を手当たり次第に読んだ時期もあった。

 特にカーネギーの『人を動かす』は、仕事上の人間関係に悩んでいた時、この1冊が救ってくれた。また川北義則の本からは、「男とはこうあるべき」と強く影響を受けたことを覚えている。特に『男の品格』は心を震わせながら読んだことを覚えている。結局この人の本は、何冊も書棚に並んでいる。

 また、大橋巨泉の『巨泉~人生の選択~』からは、「こんな生き方があるのか」と、その後の生き方の方向性に大きな影響を受けたように思う。そのような影響もあり「夢のハワイ生活」的な、海外生活本も数々読んでいった。「ハッピーリタイア」という言葉も書籍から知った。

 その他にも、年を重ねて行く中で「健康本」もいろいろ読んだ。また、立花隆など、いわゆる「ルポ」と言われるジャンルにハマったりもした。

 とにかく「読書」は、常に日常の中にあった。しかし、世の中にインターネットが現れ、YouTubeというものが誕生してからは、「読む」より「視聴」に徐々にシフトしていき、ある頃には、読書が日常の中から消えていた時期もあった。YouTube視聴は、刺激的で、労力もいらない。外出の際、バックの中にはいつも「本」が入っていたが、それもなくなり変わりにあるのはスマホ。隙間時間があれば動画を見ている。寝床に入っても枕元にそれはあり、ついつい手も伸びてしまうことが常態化してしまっていた。

 今、意図的に本を読むようにしている。結構強い意志力が必要になる。しかし、やはり読書には読書の良さがあることを気づかせてくれる。

 一つの部屋が書庫のようになり、どこに何があるのかもよくわからなくなっていたので、思い切って結構な数の本を処分した。「断捨離」という言葉があるが、本だけはなかなかできずにいた。読んだという記憶も無くなっているものから、読んでいる時の情景がくっきりと思い出せるものまで、1冊1冊の思い出も様々だった。

 今、夏目漱石の『こころ』を読んでいる。この本、なかなか手強い。しかし、これを書きつつ絶対読み終えると強く心に思った。

 

夏目漱石『こころ』、思い出せずもう一度読むことにした。

 読書も、「本との出会いを巡る旅」ということで、今日は「本」のことを書こうと思う。

 

 『中田敦彦のYouTube大学』、登録者584万人という大人気のチャンネル。時節の話題をタイムリーに取り上げ、分かりやすく解説していく。そのジャンルは政治・経済・歴史・漫画・文学・カルチャーなど幅広い。

 先日、そのチャンネルで夏目漱石の『こころ』を取り上げ、その中身を解説していた。

 高校時代、よく本を読んでいた。悶々としていたこの時期、本に活路や救い、癒しを求めていたのかもしれない。10代の頃、最も衝撃を受けたのは、稲田耕三著『高校放浪記』。読んだのは高一の時。大きな影響を受けたことを記憶している。この頃から、いろいろな本を読んだが、ある時から、いわゆる古典と呼ばれているジャンルや外国文学にも幅を広げていった。日本文学で「古典」と呼ばれているものは、タイトルは知っているもののその内容は知らないものが多かった。当時、新潮文庫や角川文庫では、文庫本サイズのカタログが無料で書店に置いてあり、それに書いてあった紹介文書をもとに、文庫本を様々買い求めていった。明治から昭和にかけての文豪と呼ばれる作家の本が多かったと思う。その中の一冊に、この夏目漱石の『こころ』があった。

 我が読書人生で、本を読んで生まれて初めて涙を流したのが、『フランダースの犬』だった。小学校4年生だったと思う。そして、高校時代に、同じように涙の溢れる本に出会った。何冊かあるのだが、その中の一冊が、この『こころ』だった。主人公の「先生」が、告白していくシーンで涙が溢れ出した。どんな内容だったかはもう覚えていない。ただ涙が溢れたことだけをはっきり記憶している。

 冒頭書いた、『中田敦彦のYouTube大学』は、気になるタイトルのときは見ているという感じなのだが、先日飛び込んできたタイトルには、『「こころ」最も読まれた日本の近代文学! 夏目漱石が遺した道徳の哲学』とある。高校時代のあの時の記憶が蘇ってくる。早速視聴した。しかし、番組序盤の解説動画を見ても、本の内容をほとんど思い出せない。涙が溢れるほどに心を揺さぶられた本なのに。初めの方を見ただけで動画を見るのをやめた。

 この本が気になった。書棚のどこかにこの本があるはずである。探しに行く。「あった!!」

 書棚の隅の方に並んでいた。高校時代に読んだきり、それ以来1度も読み返したことがない。本を手に取り表紙を見る。デザインに記憶がある。裏を見ると220円とある。本を開く。ページの黄ばみに時の流れを感じる。実は、YouTube配信を見ても内容を思い出せなかったことから、もう一度この本を読み返そうと思ったのである。あのころから随分時間が流れ、人生の経験も重ねてきた今、読み終えた時何を思うのだろう。同じように涙が溢れるのだろうか。

 さて、改めてページを開き、読み始めることにした。が、ここで「はっ」と、ページを二度見してしまう。文字がぼやけて見えないのである。黄ばんでいるからかかと思ったが、そうではない。理由は、そこにある文字が小さいから。微妙に小さく感じる。今市販されている文庫本を取り出し、比較してみた。行数が手元にあった現代版は17行なのに対し、「こころ」は、19行もある。

 たった2行の違いなのたが、そこにある文字は随分大きさが違って見える。昭和の頃の新聞を最近見る機会があった。このときも文字の大きさの違いに驚いたことを思い出す。それにしても小さい。文字を読んでも、文字を追うことに気が入ってしまい意味が入っていかない。

 少しばかり慣れが必要かもしれない。とにかくしばらくこの本と格闘してみようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

健康への投資とジムでの発見。

 知らない土地を訪ねて行くことが好きである。「絶景」「名所」と呼ばれる所ももちろん好きだが、「行ったことがない」というだけでも、結構気分は高まる。一昨年の「北海道一周」と昨年の「信州旅」で、日本全国、全ての都道府県を細かく線でつなぐことができた。そして今年、年明けに「瀬戸内海一周」をしたことで、日本2周目に入った。今年の夏に、再び北海道一周旅を目論んでいるところである。旅系YouTuberの動画を見ると、行ったことも聞いたこともない「名所」「旧跡」がまだまだ無数にあることを思い知らされる。更には、数十年ぶりの海外旅行で、タイのバンコクを訪ね、眠っていた海外旅行熱が再燃してしまった。今、ベトナムからラオスを経由し、再びバンコクに行くという国境を越える旅をあれこれ思案している。

 おっと、前置きが長くなってしまった。

 書きたかったことは旅行計画のことではない。好きなことをやり続けるためには、健康管理と体力の維持向上はマストであり、日頃からの取り組みが不可欠だと思っている。

 今日はこのことについて書いてみたいと思う。

 個人的にこのことについては、『健康=時間×お金』の式が成り立つと考えている。若い頃は別として、ある程度の年齢に達したら、健康の維持向上のためには、時間をかけ、またお金もかけることが必要であり、これを「乗」した答えが健康の大きさのように感じている。

 我がことで言えば、週に2〜3回、トレーニングジムに行っている。これを例にとれば、行けば2時間ほどはそこにおり、これが先ほどの「時間」に当たる部分になる。そして、次の「お金」がジムの会費になる。不足しがちなタンパク質を補うためにプロテインも大切になる。これもなかなかの値段である。

 健康のための活動は、受身的では、その効果は薄く、また長続きもしないように感じる。意図した、自発的な活動がポイントではないだろうか。更には、身体の中に取り込む「食料」も、例えば水一つを例にとってもいろいろ気を使ってしまう。こう考えると「意識」も大切になってくる。「健康」のための、「時間」と「お金」、そしてそれらを支える「意識」。これらがうまく機能し「健康体」という結果につながってくことを思う。こう考えると、この一連の取り組みは、「投資」に似ているなと感じてしまう。健康という「利益」を上げるためには、投資(時間とお金)した分、損はしたくないのでやめられない。かつ真剣さも増す。

 またまた、再び「前置き」を書いてしまった。今日書きたかったことはこんなことではない。

 今日も、早朝ジムに行った。そしてやっていることはいつもと変わらなかったのだが、少々やり方を変えた。そのことで発見があったのである。このことを書きたいのである(汗)。

 今週は、連日通っている。そのため負荷をかける部位が前日と重ならないように、種目を調整しながらやっている。ただしエアロバイクやウォーキングマシンなどの有酸素運動は、毎回やっている。そしてどうせやるなら同じ時間で消費カロリーの大きい「ウォーキングマシン」を好んでしている。このマシンは、速さと傾斜を設定でき、速く、そして傾斜角度が大きいほど消費カロリーは当然大きくなる。歩く時間は1時間と決めているので、速度が早過ぎたり、傾斜を極端に大きくしてしまうと1時間持たなくなってしまうので、いずれもほどほどに設定して歩いている。傾斜角度は5度、速さは時速4.7km〜5.3kmほど。これで320kcal〜380kcalほどの消費になる。しかし今日は、ふと傾斜角度をもっと大きくして、その分ゆっくり歩いてみようと思ったのである。傾斜角度を8度にし、速度を4kmに落としてみた。そしてその結果として「発見」があったのである。傾斜は大きいのだが、速度が遅い分それほど疲れず、しかし、消費カロリーはいつもより大きかったのである。有酸素運動の目的は、カロリー消費のため。油断すると体重はすぐ増える。これの防止のためにやっている。さすがに後半傾斜角度を少し緩めた。しかし抵抗が小さくなった分、速度は上げた。その結果、今日の消費カロリーは、なんと448Calだったのである。過去最高の消費量。このことは些細なことではあるが、結構大きな驚きでもあった。やり方をちょっと変えただけ。固定観念に縛られたままだったら、今日の発見はなかったように思う。

 ちなみに歩き方のコツは、無意識だと「つま先と膝」を前に運ぶようにして歩いていると思うが、そうではなく「太もも」を持ち上げる感覚で歩くと、疲労度は大きく変わっていく(と感じている)。つまり「つま先と膝」ではなく、「太もも」で歩く。意識の問題なのだが、その効果は大きいと思う。お試しあれ!!